プロフィール

偶然が必然になった日

佐々木克文(ささき かつふみ)

私が10代の頃、実家にあった古いバイク。エンジンが掛からず、長年放置されていました。
お金は無いが時間だけはタップリとあった少年時代、暇を持て余しバイクを修理することにしました。
分解したエンジンやキャブレターをクリーニングし、分解した逆の手順で再び組み上げてみました。
何の知識も持たずにチャレンジしたオーバーホールでしたが、偶然にもエンジンは生気を取り戻し、快調に唸りをあげたのです。そして、その瞬間、私の心の中で何かが芽生えました。
 
数年後、友人達が就職探しで奮闘している時、私の心の中は決まっていました…
「メカニックになろう」と。

そして1981年、千葉トヨタの整備士としてメカニック生活がスタートしました。
毎日毎日クルマと向かい合い、休日は遊びに来た友人達のクルマの面倒を見る。 そんなクルマ漬けの毎日にも、私は満足していました。
ところが、その数年後、友人に誘われて板金塗装の工場へと遊びに行きました。そこで事故を起こして大破したクルマが美しく復元している姿を見てとても感動したのです。
 
塗装工場で修行した後、自分の城である「Kボディーサービス」を立ち上げ、気が付けば10周年を迎えることになりました。今では数多くのお客様に支えられ、忙しい日々を送っています。
 
少年時代に思い付きで修理したバイク。トヨタでのメカニック生活。友人と訪れた板金塗装の工場…。
数々の偶然が、必然であったことに感謝すると共に、これからも質の高いサービスを提供できるように、日々勉強であると思っております。

<MOTOR SPORTS>
1987年、仲間たちと「ポール・ハミルマン・レーシング」を設立し、VWゴルフのワンメイクレースである「ポカールカップ・レース」に参戦。
チーフメカニックとして、筑波、富士、菅生などの有名サーキットを転戦する。
イエローをチームカラーにした鮮やかなマシンは数々の入賞を果たし、1989年の3月に筑波サーキットでは念願の表彰台を獲得。約2年間のレース活動であったが、マシンの修復や整備などを通して、数多くの経験を得ることができました。
 
当時の仲間たちとは、現在も最高の関係を保ち続けています。
また機会があれば、仲間たちとレースに参加してみたいと考えています。